スポンサー広告
 --, -- --:--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
愚息が言った。
「オレはコミュ力は高い方だよ?でも社交的じゃないんだ」
友達が少ない彼に、私が「友達でもビジネスパートナーでも、少し交友関係を増やしたらいいんじゃない?マイナスにはならないと思うけど?それともそういうの(友達をつくる)難しいの?」というような内容を言った時に返ってきた言葉。
上手いことを言うものだ。

● コミュ力(「コミュニケーション能力」を略した表現。)
 : 人との会話や意思疎通などを円滑に行うことができる能力やその程度などを意味する語。
● 社交的
 : 人とのつきあいに積極的で、つきあい方のじょうずなさま。

もう自立した大人なのでそんなに観察する機会もないが、連れ立って出かけた時の様子や仕事の話から判断するに、「コミュ力」は確かにあると思う。必要な場面で説明もコミュニケーションもとれる。ただ「社交性」はかなり低いだろう。あまり必要と思っていない風にも見える。
ちなみに冒頭の私の提案の回答だが、友達は無理に作らなくてもいいそうだ。ビジネスパートナーは必要かなとは思っているけれど、今は時期じゃないらしい。

大体の人間は社会の中でしか生きていけない。だから社交力は必要なのだと、自分もそのように頑張ってきたし、愚息にも良いことなのではとすすめてみたのだが、ちょっと考えた。

自分もともとそんなに社交的ではない。小さい時は内向的ですらあったが、度々の転校で「社交性の向上」に迫られがんばったのだった。あの時は「この世界の歯車に組み込まれなくてはおいていかれる!」みたいに思っていたかな。
そんな風に歩んできたが、今はどうかというと『ふりだしに戻る』だ。少ない友達とビジネスパートナー、仕方無しの外出以外は家の中で毎日アレコレ忙しく楽しくやっている。

あくまで私の場合だが、「社交性の向上」のために頑張った方向性が悪かった。いろいろな人とスマートに付き合うために、子供の頃からやってきたのが「相手にあわせる」だった。人の顔色とニーズを読み取るのは得意だ(あまり自慢にならないけど)。だが気がついたら「私」を見失いかけていた。30代からそれをやめるようにしたのだけれど、染み付いた考え方はなかなか抜けなく、結局無理のない自分でいるのに最近までかかった。いや、今もまだなにかオカシイかもしれない。

そう考えると、愚息が友達が少なくても、自分の個性に沿った生き方をするから、というのはごく当たり前だが、とても良いことに思える。あとは、自分が気持ち的に必要な時に、素直にその「コミュ力」を発揮して「社交的」で居られるといいけどね。
どちらのスキルもあるといい。けれど無理は禁物。必要な時に必要なバランスで発揮できるといいよね。

コミュ力と社交性ね~結構深いわな、とこうやってたまに思い出しているのでありました。

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。