話さなければわからないが、伝えるのって難しい
母の陰にかくれ、いつも部屋で本を読んでいたそうだ。
母はそんな私をとても心配したそうだ。
「これからの女性は一人でも生きていけないと。このままじゃダメだ。一人っ子だし。」
そこで興味のあるもので釣って、私をなるべく外へ外へと連れ出したらしい。
宝塚、映画、サーカス、ピアノ教室…少しずつ外向きになっていった(らしい)。
小学生になり親の事情で引っ越し・転校を数回体験した。
その時、母からの後押しではなく、自分で声をかけ友達を作ることも覚えた。
その後はどんどん友達も出来、今では「内気って誰がよw?」といわれるまでになったが
実は結構子供の頃の気質は残っている。
お出かけするより、家の中にいるのが好きだ。
だって誰かといると良くも悪くも疲れるから。
人と話すのは、苦痛ではなくむしろ楽しい。けれど「しんどいな」と思う時がよくある。
うまく伝えられないのだ。自分の気持ちや状態を人に伝えるのは苦手だ。
そして聞く方になった時も、興味の無いことを耳に入れない悪い癖がある。
自分自身がとてもビビリなので、その分、相手の気持ちを察するのは上手な方だと思う。
なのに、相手の話に興味なきゃ聞いたふりって、我ながら本当に性格が悪い。
こんなんなので、会話は下手だと思う。
それを知らせたくなくて、余計なことをベラベラしゃべる更に悪い癖もある。
場を和ませないとと思ってしまうのだ。
母は、私が小学生の頃友達と喧嘩して落ち込んでいる度、
「人はひとりで生きていかなくちゃだめだけど、独りきりで生きていけないから。
だから、(*'-')bなかよくしてね♪」
とよく言ってくれた。
「よく話しておいで」と「相手のことを知るのは、あなたの得意な空想では出来ないよ」と。
親元を離れ、仕事につき職場つきあいが、
ひとりでジャズバーやらクラブに出歩きその時の出会いを楽しむことも、
更にフックも生まれ子供を介してのつきあいと……、色々な人と話しをしてきた。
だが未だ会話に疲れ、誰かとコミュニケーションをとることがしんどいと思う事がある。
最近、それは私の甘えなのだと思っている。
相手が自分の事を「わかってくれる」という甘え、
私が相手の話を聞かずとも「許してくれる」だろうという甘え。
で、「面倒くさいからいいやこのままでいいや」と思ってしまう怠惰さ。
この歳になって、こんな基本的な事を反芻してます。
私は、よき知人たちに囲まれて今まで過ごしてきたんだね。
人は皆ひとり。けれどもひとりでは生きていけない。
だから私は、ちゃんと自分を伝えて、相手を知る努力をしないといけない。
仕事も、プライベートも。
ま、いつまでたってもダメダメなわたくしです(´・ω・`)